私の好きな“クロモリ” |
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自転車は工業製品であり、大小数多くの部品の集合体です。
私が実際に作っているのは、そのうちのフレームという一つの構成部品に過ぎないのですが、そのフレームこそが個々の自転車の乗車姿勢、安定感、操作感や乗り味を決定する大きな鍵を握っているのです。 永い間高級自転車フレームの素材として君臨してきたクロモリ(クロームモリブデン鋼)に代わって、現在では、軽さ、加工の容易さ、材料のコストなどの理由からアルミが主流となりました。 さらには、チタン、カーボンなどの新素材も競技用自転車フレームには決して珍しい素材とは言えなくなりました。 特に競技機材としてみた場合、クロモリと比較して、軽さ、レスポンスの良さは大きな魅力であり、アドバンテージとなることは疑う余地もありません。 しかしクロモリには、アルミには無い“しなやかでやさしい乗りごこち”という大きな魅力があります。 主流がアルミに移った今日でも、クロモリは特に、女性、街乗り、長距離ツーリングなど緩やかに自転車を楽しみ、強く競技を志向しないライダーにあらためて見直され、再び脚光を浴びています。 と、言ったところがクロモリフレームの現状ですが、特に材料について深く学んだ経験の無い私がひたすらクロモリにこだわり続ける理由は上記の様な金属としてのクロモリの“特性”よりも、むしろ、自転車となった時のクロモリフレームのもつ華奢だけど凛と引き締まった“姿”が好きな事と、細部のデザインや仕上げに手間隙が掛かってもそれを自分のイメージする“形”として表すことができる“素材”としての魅力にあります。 先端技術や高度に工業化された製品も素晴らしいけれど、そこには無い、スピードや軽さだけではない、乗る者の感性に語りかける“何か”に私は憧れ、これからもそれを目指して行きます。 |
斉場孝由 プロフィール |
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1958年(昭和33年)愛知県生れ。 中学時代から自力で移動出来る“自転車”に興味をひかれ自転車小僧になる。 はじめてのお泊まりサイクリングは三河湾一周。 工業高校に入学し、近畿、北陸、九州ツーリングなど“自転車小僧”に磨きをかける。 アルバイト先の自転車部品商社で出会ったフランスの“ルネ ルセ”や、“チネリ” “コルナゴ” “ロッシン” などキラ星のごとく輝くイタリアンレーサーに心臓を鷲掴みにされ、四六時中頭の中を自転車が走り回る難病にかかる。 更に病状は悪化の一途を辿り、ついには“斉場じるし”の自転車を日本中に走らせる妄想にとりつかれる。 高校卒業し、前出の自転車部品商社に就職し社会人となった直後、安月給の身でありながら無謀にも3年ローンを組み、コルナゴを購入する。 そのローン完済前のコルナゴを駆って1979年西日本実業団ロードジュニアクラス優勝。同年全日本実業団ロードでは、有名選手に囲まれたのは良いがノミの心臓が災いして緊張のあまりトークリップがはまらず出遅れ惨敗。 1980年“斉場じるし”を実現すべく“東洋フレーム(大阪)”に入社しフレーム製作修行の道に入る。 そこで、トム・リッチー製フレームとの出合いから、まさに自由奔放なアメリカンバイクに脳天を打ち砕かれる。 1986年本場アメリカの自転車メーカー“GT”でフレーム製作を学んだ後1987年独立し、オリジナル ブランド “DOBBAT'S” を立ち上げ、自宅の一角を工房とし製作を開始する。 1993年ロード用サスペンション“SUS21”開発チームのメンバーとなる。 1995年"SUS21"を使用する桜井要選手のサポートクルーとしてアメリカ横断レース“RAAM”に参加する。 1996年イタリア“カレラチーム”に、クラッシクレース“パリ・ルーベ”のためのサスペンションフォークを製作し供給する。 1997年現在の地に工房兼店舗 “ドバッツ ライノ ハウス” をオープンする。 現在は、ロード、マウンテンバイク、トライアスロンなどのホビーレースやツーリングを楽しみつつ“歌って踊って笑いのとれる”フレームビルダーを目指しています。 |